上野界隈散策⑬!
JR上野駅周辺②(2017年7月のremakeです)!
中央通り!



川柳の原点 俳風柳多留発祥の地(はいふうやなぎだる)!

碑文には・・・。
「川柳は江戸時代に江戸に生まれた17文字の庶民文芸として今日に伝わっております。川柳の名称は宝暦7年(1757)に浅草新堀端にはじまりましたが明和2年(1765)7月呉陵軒可有という人が初代川柳評の前句付万句の勝句(入選句)から17音の対句のみで鑑賞でき、深い笑いのある句を選び今日(川柳の原点)ともいわれる"誹風柳多留"を刊行しました。このことにより川柳は17音独立文芸として確立され、のちに全国へ広がっていきました。この付近には誹風柳多留の版元・星運堂(花谷久次郎)があり三代にわたり『誹風柳多留』を通じて(川柳風)の隆盛に貢献、川柳を『江戸文芸』の一つまでに育てました。『誹風柳多留発祥』の地は『文芸川柳発祥の地』でもあります。記念碑の『はねのあるいいわけほどはあひる飛ぶ』の句は『木綿』と号した誹風柳多留の編者、呉陵軒可有の作です。」平成27年8月 柳多留250年実行委員 と記されています。

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川柳の原点 俳風柳多留発祥の地(はいふうやなぎだる)!

碑文には・・・。
「川柳は江戸時代に江戸に生まれた17文字の庶民文芸として今日に伝わっております。川柳の名称は宝暦7年(1757)に浅草新堀端にはじまりましたが明和2年(1765)7月呉陵軒可有という人が初代川柳評の前句付万句の勝句(入選句)から17音の対句のみで鑑賞でき、深い笑いのある句を選び今日(川柳の原点)ともいわれる"誹風柳多留"を刊行しました。このことにより川柳は17音独立文芸として確立され、のちに全国へ広がっていきました。この付近には誹風柳多留の版元・星運堂(花谷久次郎)があり三代にわたり『誹風柳多留』を通じて(川柳風)の隆盛に貢献、川柳を『江戸文芸』の一つまでに育てました。『誹風柳多留発祥』の地は『文芸川柳発祥の地』でもあります。記念碑の『はねのあるいいわけほどはあひる飛ぶ』の句は『木綿』と号した誹風柳多留の編者、呉陵軒可有の作です。」平成27年8月 柳多留250年実行委員 と記されています。

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この記事へのコメント
- : 2017/07/18 (火) 17:17:16
- : 2017/07/19 (水) 16:39:05
- : 2017/07/20 (木) 17:01:21